種まく人

書評
言葉にならない思いを抱えて生きる人へ

評者:岩間 華奈子唐突だが、「言葉」とはなんだろう。

想いを伝える手段。
情報を書き記すツール。
感覚や感情、思考を共有する媒体。
 
 
 
私たちは「言葉」と聞くと、耳で聴き、目で見て、口で伝えることのできる、具現化された具体的なものを言葉と多くは認識しているように思う。

だが、言葉によって表されるものがすべて、そこにあるわけではない。
 
 
 
「心の底に 強い圧力をかけて
 蔵(しま)っている言葉
 声に出せば
 文字に記せば
 たちまちに色褪せるだろう」
(茨木のり子詩集「言いたくない言葉」)
 
 
 
この世には言葉として語られるもの、そして、言葉として語られざるものがある。
その「語られざるもの」は、語られないからこその輝きを秘めている。
 
 
 
本書は、言葉にならない思いを抱えて生きる人へ向けて、優しい木漏れ陽のように心を照らしてくれる存在になるだろう。
 

本書の概要

著者は批評家・随筆家の若松英輔(わかまつ・えいすけ)。

日常の中の「言葉なき人々」に思いを馳せ、25のエッセイと詩で「言葉」の纏う世界を映し出していく。
 
 
 
若松氏は本書「種まく人」を執筆するにあたり、題名をフランスの風景画家「フランソワ・ミレー」の代表作「種まく人」から想起した。

ミレーの作風は、特定の個人の存在感を表出させることだけを目的とせず、その風景と一体となった人々すべてが美しい風景として描かれている。

ミレーの「種まく人」は、種をまくという古来からの原初的な農耕の姿、そしてそれに真摯に取り組む農民のひたむきな原石のような美しさを表しているように思う。

この「種まく人」を描くにあたり、ミレーは絵によって、文字の読めない人にも、この世の摂理とは何かを伝えようとしたと若松氏は語る。

そして自身の本書に対する想いをあとがきでこう述べている。
 
 
 
「日ごろ本を手に取らない人にも、どうにかして言葉を届けたい。―(中略)―本を通じて、あまり本を読まない人に言葉を届ける。ここには容易に越えがたい壁があるのは承知している。だが、道がないわけではない。」
 
 
 
語られざる者たちの声、「語られざるもの」を言葉に、文章に、詩に、そして本にすることで種をまく。

そこから誰かの手に渡り、ページがめくられ、その言葉たちを前にしたとき、はじめてその「語られざるもの」はその誰かの中で芽吹き、花開くのだろう。
 

言葉にできない言葉こそ

現代、スマホを手に取れば、外に出れば、家の中でも、文字や言葉が溢れている。

そんな生活の中で私たちは自然と、「意味のある言葉」だけを追い求めるようになってきてしまったのではないだろうか。
 
 
 
「語られた言説だけを信用してはならない。また、書き記された言葉だけを信用してもいけない。そこには本当に起こったことの断片しか述べられていないからだ。」(本文より)
 
 
 
本当の気持ちこそ、言葉にできないときがある。そしてそんな言葉に出来ない曖昧さも、本当の私たちの感情や気持ちに他ならない。

そしてそんな曖昧で繊細な私たちの感情を、無理矢理に言葉にすることでゆがめられてしまうことも大いにある。
 
 
 
でも、それでも、私たちは言葉を紡ぎ、語ろうとする。
 
 
 
言葉を、心を、自分自身を、確かめるように。今すぐに伝わらなくとも、いつか伝われ、伝われ、と。

伝えたくとも完璧に言い表せない言葉たちを、ひとつひとつ、蒔いていくのだろう。

ミレーの「種まく人」に描かれた者たちのように。

書籍データ

タイトル種まく人
著者若松 英輔
出版元亜紀書房
初版発行2018/08/30
amazon.co.jphttps://www.amazon.co.jp/dp/4750515604