名前のない生きづらさ

書評
ズレつつ、葛藤しつつ、生きづらさを内と外から考える。

評者:岩間 華奈子私たちは、生まれたとき当たり前のように「名前」を与えられる。
 
名は体を表すというように、「私たち自身を表すのが名前である」という根源的な価値観が人の無意識下にはある。人は何かを見たとき、得た情報を受けとったのち「名前」をつけラベリングして、自分の中の棚に分類していく。個人を含めた社会にはそんな「わかりやすく名前付けされた世界」の外側にある、「わかりにくく名前付けされていないもの」に対しての批判的・排他的なまなざしが多かれ少なかれあると私は感じている。

黒か白か、良いか悪いか、損か得か。それに当てはまらないグレーな存在。そんな曖昧で多種多様なズレやゆがみは「わかりにくく名前のない生きづらさ」として、いつも私たちの隣に静かに佇んでいる。
 
 
 
『生きづらい人々は、自暴自棄な暴力でもってこの世界と向き合う代わりに、「自分とは何か」「この社会とは何か」と、真摯に、建設的に、問うているのですから。』(貴戸理恵-関西学院大学准教授・生きづらさをテーマに研究している社会学者)

生きづらい人はその確かに存在している生きづらさを痛切に感じ、体当たりで悩みながらも懸命に生き抜いていこうとしている。本書はそんな生きづらさを抱き懸命に悩み生きる人々へ、ぜひともお勧めしたい。
 

本書の概要

本書では、小学校3年生から学校に通わなくなり、世間的には不登校・ひきこもりと呼ばれるであろう状況を実際に生きてきた野田彩佳(のだ・あやか)氏と、フリースクールや不登校新聞編集長などの経験を経てきた山下耕平(やました・こうへい)氏のふたりにより、「名前のない生きづらさ」を当事者側とその外側にある社会的側面からそれぞれ考えていく。

第一章「名前のない生きづらさ」では、野田氏が当事者として悩みや苦しみの現場に立ちながらも自らの中で咀嚼し、読む側もイメージしやすいやわらかな表現で書かれている。

第二章「その名前、ズレてます」は、もうひとりの著者の山下氏によって書かれている。具体的なデータのもと、不登校・発達障害・ひきこもり・ニートを軸に「社会的背景」を深く細かく掘り下げていく。

第三章では、著者ふたりが携わる大阪のNPO法人フォロ(現在は「なるにわ」)での実際の当事者研究などの活動を絡めながら、団体の紹介と「名前のない生きづらさ」をこじらせない工夫を紹介し、第四章はこのふたりの対談で締めくくっている。
 
 
 
異なるふたりのアプローチは対比を生み、内容を鮮明に見せてくれる。野田氏はどんなに些細な違和感にも、逃げも隠れもせず向き合いつぶさに拾い上げ、幅広い表現の言葉に変換している。一方山下氏は豊富な情報量と多角的な視点で社会背景をわかりやすく説明している。
 

ズレを抱きながら、「何者でもない自分」の可能性を広げていく

本の冒頭に植物学者である牧野富太郎の印象的な言葉がある。
「雑草という草はない。名前のない草花などない。名も知らぬ草花と言え」

草花しかり、不気味な超常現象や目に見えない存在に対しても、ありとあらゆるものに人は名前を付けてきた。学歴や経歴、肩書きや診断名であっても。名前のあるものに縛られ意識してしまうのは自然なことであり、それに助けられている側面も多くある。そしてそれは時として誰かが私たちの価値を否応なく決める判断材料になりえることを知る。

私たちはどこかでそんなものに縛られることなく、何者でもない私自身でいたい・そんな自分を理解してほしいと願う現実と理想とのズレを抱いている。
 
 
 
「その名指しに、自分自身が乗っ取られてはいけない。自分ではない誰かが貼り付けていった名詞を、みずからの代名詞にする必要なんてないのです。」(本文より「なるにわ」呼び掛け文)

「なにものか」になる必要性に駆られ、そうなろうとして疲れ果てている世の中。本来必要なのは自分を表す代名詞ではなく、「なにものか」でない自分自身で、人と繋がり合える可能性を広げていくことなのかもしれないと感じた。
 

おわりに

本書をすべて読み終えしばらくの間、言い表せないくぐもった感覚を胸の中に感じていた。「あぁ、これもまた、私の中と外とのズレによって生まれた感覚なのだ」と。

生きづらさはその渦中にいるとそれ単体に注目してしまいがちだが、本書を読みながら一回り二回り外側から見てみると、どれだけ私たちが普段からズレや噛み合わない社会意識の中で生きているのかが炙り出されるようであった。
 
 
 
野田氏はこう語る。
「そもそもが、清濁をあわせ持つのが人間じゃないか。裏と表はくるりくるりと入れ替わり、清らかであれと願いながら、濁りはどうしたって生じてしまう。生まれてしまったものを、なかったことにするから歪むのだ。」

生まれてしまった生きづらさの領域に自分を置き、揺らぎながら見つめることで、よりいっそう自分というもの・自分以外の存在の深さを色濃く感じられる。かたくなである必要はなく、むしろ必要なのは自分を絶対だと過信せず、揺らぎ続けることなのだ、と。

書籍データ

タイトル名前のない生きづらさ
著者野田 彩花, 山下 耕平
出版元子どもの風出版会
初版発行2017/03/15
amazon.co.jphttps://www.amazon.co.jp/dp/4909013016/